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能登半島地震 医療支援に行ってきました

私が活動したのは、1月26日〜28日の3日間。
熊本県JMATとして、石川県志賀町富来の介護医療院悠々へ、医療支援に行きました。

JMAT用に、金沢市に宿泊ホテルを確保してありましたが、志賀町まで2時間以上かかります。
(通常なら1時間半で行ける工程のようですが、震災後で、通れない道があったり、渋滞があったりするので、とっても時間がかかります)
ホテルを利用すれば往復4時間、活動する時間も限られるので、施設の片隅で休ませてもらえればと寝袋持参で行きました。行ってみたら、医師当直用のお部屋を準備してくださって、お風呂には入れませんでしたが、快適に過ごすことができました。近くのコンビニが稼働していたので、おにぎりやお弁当を買い出しに行って食事に困ることもありませんでした。

1階表玄関はきれいで、震災のダメージあるのかな?という感じでした。
居室があった2階は、スプリンクラーが壊れて水浸し、住める状態ではありませんでした。

1階の受付ロビーや廊下、検査室、倉庫であった部屋等にベッドが並べられて、野戦病院の状態でした。水は、貯水槽に供給されて使える状態。排水は1階の限られた場所が使用可能。電気は繋がっていたので、エアコンが使用可能。 こんな状態では、満足な医療はできない。被害のない地へ、移送するべきでは?との外部の声もあったようです。 この施設で看取ってもらいたいと願う家族や、慣れたスタッフの介護なら安心できる利用者さんの思いを受けとめ、十分ではないけれど出来る限りのケアをしよう!と、職員みんなでがんばっておられました。

JMATの医療支援は、地域でがんばる医師の医療方針に寄り添い、スタッフを支援すること。
ちょうど、入浴支援がはいったので、利用者さんにトラブルがないように見守ったり、入浴を終えた方をベッドへ送り届けたり、スタッフのお手伝いをしました。
入浴施設は2階で使えない状況で、年末からほぼ1ヶ月お風呂に入っておられなかった利用者さんは、みな大喜びでした。
入浴支援は富山から。介護入浴の車3台で、2日間ボランティアに来てくれました。

コロナ陽性者が出ていたので、朝は看護師さんと共に、利用者さんの検査をしてまわり。
糖尿病の利用者さんが倒れてるとコールがあり、急いで駆けつけたけど、実は仮病だったり。
お食事が取れず、お薬も飲めなくなっている利用者さんに、どうにかしてお薬を飲んでもらおうと四苦八苦したり。
折り紙上手な利用者さんに、兜の折り方を教わったり。
普段一言も発しない利用者さんが、突然怒涛のように喋り出すという、めちゃくちゃレアな場面に遭遇し、そのおしゃべりに付き合ったり。

お昼の休憩時間には、スタッフさんとおしゃべりしました。
1月1日地震が起きたその時の大変だったこと、勤務していた少人数のスタッフで、高台に避難させたり、1階に戻ったりと、力仕事だったこと。水が使えなくて、利用者さんの水分補給に苦心苦労したこと。相当な苦労でしたでしょうに、笑いながら話してくれました。
スタッフさん達自身が、被災者です。家は壊れたけど、事務所が残ったからそこで生活してる。避難所から通ってる人もいる。断水が続いてるから、調理できないし、洗濯できない風呂に入れないが続いてる。休みの日には、金沢市まで2時間かけてスーパー銭湯へ。パンツは、コンビニの使い捨てよって笑って教えてくれたスタッフさんも。

短い時間でしたが、介護医療院悠々に泊まり込み、スタッフや利用者さんと同じ時間を過ごすことができました。忘れない、遠くからだけど応援してる。このメッセージを伝え続けたいと思います。